メーカーと小売業との戦いは、エンドユーザーをも巻き込んだ不毛な争いに情けない思いで胸も痛くなりました。
そんな時でも、10年以上前から温めていた研究に再度本腰を入れたり、フレグランスの量り売り専門店 201LABをオープンしたりと、より良い商品作りの為、努力を続けてきました。
201LABのサスティナブルな販売スタイルは、これからの時代にマッチしているスタイルであると確信しています。
お世話になった方々との30周年記念パーティー
201LABの開店とほぼ同時期、2016年の11月に30周年パーティーを行いました。
20周年以降、色々な出来事のあった10年間でしたが、過ぎてみればあっという間の10年でした。
「竹にはいくつもの節があり、その強い節目があるから天高く伸びることができ、しなやかな中にも力強い生命力が宿るのだ」という話には説得力があります。
周年事業は会社にとっては大切な節目です。
私たちは、この10年間の感謝の思いを込めて、市内のホテルで執り行いました。
来賓の選定は最後まで迷いましたが、弊社の商品をお買い上げいただいているお取引先さま中心ではなく、資材の供給や加工などでお世話になっている仕入れ先様、また私が今まで公私にわたってお世話になった方々、困っていた時に親身になって助けていただいた方々を中心にお招きすることに決めたのです。
売上の額の優先順位ではなく、あくまで弊社と共に苦労をして一緒に頑張っていただいた方々を主賓とさせていただいたのです。
また、私のたっての願いでもあったビッグバンドの生演奏をBGMとして雰囲気づくりをさせていただき、昔の知り合いのジャズボーカルの女性にメインのステージを作りました。
灼熱のセカンドステージでは、大学時代からの親友でもあり、製薬会社の部長の傍ら自身も社会人バンドのバンドマスターとして活躍している二井康夫くんに司会進行もお願いしました。
彼は、私のストーリーに出てくるドラマの節目節目には必ず、東京から京都にやってきて私の喜びも悲しみもすべてを知り尽くしている人間です。
私にとっては、彼はアートラボの周年記念には必須の存在だということなのです。40周年にもまたお世話になろうと思っています。
そんな人選もあって大勢の来客でしたが、会はなごやかにして暖かく、感慨深い一日となりました。
総合司会の息子は、私の生い立ちから30周年までのエピソードやアートラボの歴史を映像と音楽で制作してくれました。
ご来場のお客さまにも弊社のパートタイマーの従業員さんたちにとっても会社の成り立ちを観ていただいたことは、大変良かったと思っています。
「香水は液体」を覆した。ソリッドパフューム
また、開発の面でもこの10年間は貴重な10年でした。
実験を重ねてきた紫外線硬化樹脂による生香料の賦香にようやく成功したのが2012年でした。
賦香率は原液レベルで20%という高賦香率です。これにはフランスの香料会社も驚きました。
「ルームフレグランスや香水は液体である」という概念を根底から覆すことをその目標において、構想から十数年かかっての成功だったので、早速実用新案の登録に取り掛かりました。
2012年にシート状の固形化案を、2014年には立体状の固形化の登録を済ませました。
残念ながら、今はコロナの影響で、一時中断しています。
実用化させるためにまずはiPhone5のスマホに装着して、持ち運べる香りの市場を開拓しようと奮闘します。
発売までに漕ぎつけたものの、市場はシビアでした。
宣伝も戦略もなく、展示会での出品も興味は示してもらえたものの購買までにはなかなか至らず、委託販売でも結果は思ったように伸びませんでした。
何度となく、方向性を変えてトライアルを繰り返し4,5年が過ぎたころ変化の兆しが現れました。
一昨年2018年4月に、たまたま日本で60個だけ限定販売したフレグラントバーを買われたフランスのメゾンの関係者が大手パフュームのメーカーのバイヤーにサンプルを渡されて、その結果バイヤーはパリからわざわざ京都まで商談に来られたのです。
大変びっくりもしましたが、私が一番望んでいた夢でもありました。
一年後の2019年4月の2度目の来日の折にもお越しいただきいろんな検証がスタートしました。
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香りに対応した着色を施した
試作のソリッドパフューム -
60個の限定販売していた、フレグラントバー
現在は、別バージョンを店頭販売中
2020年7月 京都に「COTOIRO」実店舗のオープン
そして直近では、2001年に立ち上げた和のブランド「COTOIRO」の実店舗が2020年7月に京都でオープンさせることが出来ました。
ブランドの発足から20年越しの実店舗ということで、感動もひとしおです。
残念ながらこのコロナ禍での集客は難しく、現在は苦戦していますが、どこにも販売していないオリジナルで価値の高い品々を取り扱う店として今までになかった展開をしていますので、お客様の高い評価もいただいています。
さて、「私のストーリー」も第20章まで来ました。
ここまでお読みいただいた皆様には感謝申し上げます。
自分でいうのもおかしなことですが、こんな右往左往した七転八倒で波乱万丈の物語ですが、すべて真実のストーリーです。
私はこのストーリーを一体何のために書いているのか、途中でわからなくなることさえありましたが、素直に言えることは一つだけです。
こんな失敗だらけで傷だらけの人生ですが、それでも夢や希望を失わなければ、きっと願えば叶う、ということを皆さんに伝えたいと思ったからです。
まだ、夢がすべて叶ったわけではありませんが、昨日より今日、今日より明日、という願いが続くことが一番大切な事なんだろうと毎日そう思っています。
「私のストーリー」第21章からの続編は少し先になるかと思いますが、ご拝読をどうぞよろしくお願いします。
執筆編集後記
昨日、この執筆の合間に休憩のつもりで庭にでたら黒アゲハがやってきました。
毎年このお盆のころにはどこからともなくやってきては、しばし私達を確かめるかのように庭の周りを隈なく飛んでからまた急にいなくなるのです。
黒アゲハの正体は実は私の父なのです。
父は若いときから死ぬまでずっと謡をやっていました。
そして、その遺言に書かれていたのが、自分の葬儀の際に謡の会の友人たちに「融」という謡曲を披露してもらってほしいというのです。
「融」は光源氏が死んで皆に惜しまれて月に召されてゆく物語です。
私は家族で相談して父の死装束には黒い紋付と袴を着せてもらい、手には謡で使う月の描かれた秋の扇を持たせました。
父は、亡くなった年から毎年必ずこうして黒アゲハになって会いに来てくれるようになったのです。
今年で13度目の夏となります。
2020年8月16日
次章へ続く・・・。