2001年のcotoiroブランドのスタートから5年間の間にも様々な出来事はありましたが、一番厳しかったことはやはり資金繰りでした。
モノづくりには潤沢な資金が必要だと身に染みる思いを経験した時期でした。
このようなシリアスな話を書くのは会社にとっても自分にとってもいいのかどうなのか分かりませんが、当時は飛べないはずの蜂状態だったとおもいます。
「マルハナバチ」という蜂は、それこそ丸いコロンとしたお尻が特徴の蜂ですが、体の大きさの割にその羽は極小で、航空力学上は飛べないとされていた蜂なのです。
弊社はそんな状況でした。
攻め続けた経営方針の代償
銀行からも「もう楽になられた方がいいのではないですか?」とのお言葉をいただいた時は、さすがに辛くて夜もろくに寝れない日も続いていました。
資金繰りはまさに自転車操業。次々に攻めの一手ばかりで突き進んできたことがよくなかったのかもしれませんが、「勘定合って銭足らず」の状態がしばらく続いていました。
返済が滞っていたわけではないのですが、銀行さんからすれば、リスケと言われる最後の段階(返済猶予を例えば20年以上に伸ばす代わりに、再生機構に組み込まれ経営の自由はなくなる)にきているとの判断だったのだろうと思います。
しかし、実際にそうなれば本当に経営上の手足は縛られてしまい、これからの企画も計画もあきらめる道しか残らないと思ったのです。
私は、「支店長さん、あと半年様子を見てください。待っていただけませんか? 今企画している商品はぜったいヒットします。
その結果はおそらく半年先になると思いますが、そこまでは最低でも支援お願いします。」
「必ずやV字回復させてみせます!」
どこにそんな自信があったのでしょうか?でも言い切ることで自分にも活を入れてたように思います。
「ソラフラワーディフューザー」の完成は2005年の秋口だったと思います。
起死回生の製品、「ソラフラワーディフューザー」
2001年頃から頻繁にタイに出張していた私は、現地では「サノエ」と呼ばれている植物の造花のメーカーと折衝を続けていました。
水田に自生しているその植物は、稲作の邪魔者でしたが、タイ人の手先の器用さも手伝って昔から造花づくりが盛んでした。
その茎は乾燥させて、天日干しして茶色の皮をむき、大根の桂剥きの要領で純白のシートを作ります。
それを花弁の形状にカットしてから造花を作ります。
繊維質がオイルを吸い上げ色づくという「お花のディフューザー」なのです。
何度も交渉を続けてようやく1社だけその面倒くさい加工にチャレンジしていただけたのです。
試行錯誤の末に完成したソラディフューザーでしたが、色のついたオイルを見事に吸い上げて、花弁も色づく姿はとてもきれいでしたが、吸い上げてしばらくすると花弁がぼろぼろになって破れて零れ落ちてしまいます。
そこで、それからはオイル自体の処方を変えることにしました。
アルコールが花弁を乾燥させてやがてはぼろぼろにしてしまうことに気づいたのです。
処方は化粧品の保湿成分も配合させてノンアルコールに変えたところ、問題が解決しました。
色づきも香りの持続性も高まり、ようやく完成しました。
当時の香り雑貨の平均上代は580円から1,000円止まりでしたが、この商品には1,800円の定価をつけて売りました。
よく売れて瞬く間に予定の売上額はクリアし、有言実行の報告が銀行さんへもできたことは、ズバリ生きていてよかったと思った瞬間でした。
創業20周年記念パーティー
2006年8月11日
社屋を購入し、従業員も増えました。気が付けば創業20周年です。
周年行事をすることは、私は大切だと思っています。
「竹は撓るが上下に節があってそのため強くて折れないのだ。会社にとってもその節目節目に祝い事をしてお世話になった方々へ感謝の気持ちを忘れずにその想いを伝えることは従業員にとっても気づきとなり、また励みになる」という言葉を昔先達から聞いたことがありました。
私は、社員に役割を決めて、早速準備にかかりました。
いままでお世話になった方々に弊社のことをもっと知ってほしいと思いました。
自社は中古物件ですが改装も終えて、何とか会社らしくなりましたので、会場は自社屋に決めました。
3Fのショールームと屋上で食事とお酒も準備して、音楽も知り合いにお願いしてバンドを入れました。
あまりにも大勢のお客様が一同に会したため、クーラーはまったく効かず、皆さんに申し訳ない気持ちだったことを思い出します。
しかしながらとても楽しい思い出の時を過ごせたと思います。