MY STORY

私のストーリー(気まぐれ日誌)

2021-09-22

第十五章:【2001年cotoiroブランドのスタート】

大きな挫折から、経営者と社員の感覚の差を少しでも埋める努力を続けていた際に思ったことがありました。

ルームフレグランスを日本に根付かせるために、教室を開催しながらオリジナルの“香り雑貨”なるものを企画製造してきましたが、核となるブランドがまだ作れていないことに気づきます。

東京で創業してから早くも15年の年月がたっていました。

「都落ち」だと知人には自虐的な言い方で話していましたが、しっかりと生まれ故郷に根付いて「京都に返り咲く」ためにも、京都人としての自分のアイデンティティーを保てるブランドを作らなければ、との思いで「COTOIRO」を立ち上げました。

京都の美的エッセンスを香りと色彩とその形に表現するブランド

京都には、美しい女性のような二面性があると私は昔から思っているのですが、その景色にも二面性が見てとれます。色鮮やかな「雅」(みやび)とモノトーンの墨絵のような「侘び寂び」。いずれも京都の顔であり姿であると、そう思っています。

そんな京都の美意識をお手本にしながら、このブランドをわが子のように育ててゆきたいと思いました。

そんな時、フランフランのショップで有名だったバルスさんが和のお店をオープンされました。J. (J-ピリオド)です。

シンプルでモダーンなその内装にも、私が当時求めていた新しい和の提案が感じられました。

本当は自前でこのようなお店を作りたかったのですが、そこは、やはり売り上げを取っていかなければ新しいモノづくりなど続けてはいけません。

私は、満を持して飛び込み営業をしました。

京都は藤井大丸に出店されていたので、お店に出向いてお話を聞いていただきご担当者さまにカタログを渡していただけるように御願いをしてきました。

その後ご担当者さまが京都に来られた時に弊社までわざわざお越しいただき、取引が正式に始まったのです。

京の情景シリーズは、ブランド立ち上げ時から作っていました。

京都を表現するときに絶対に外せない場所とその季節を切り取り、香りを創作しました。

白川の枝垂れ桜、高瀬川の柳、先斗町の雪、貴船の聖水、鞍馬の朝霧、高雄の紅葉、東山の名月、平等院の藤、宝鏡寺のひな祭り、などなど・・。

ところが、この名称が後に問題となってしまいます。

名称使用に対するクレーム、それだけではなく…

「社長!お電話です。平等院さまから・・・。」

当時、平等院のミュージアムショップなども任されておられた学芸員の方(現在はご住職さま)からでしたが、私には香りの名称に使用していたことがすぐに結びつかず、まったくもって想定外のクレームだったのです。

事の重大さに気づいた私は、土砂降りの雨の中、車を走らせて平等院まで向かいました。

その日は、私の誕生日でした。

カタログを正式にみられた時に、その顔色がにわかに変わるのがわかりました。

私はこっぴどく怒られるのだろうと、姿勢を正して頭を下げていたのですが・・・、

「素晴らしいカタログですね!デザインもいいけど、費用も結構掛かっているでしょう?」

「この平等院の名前だけは変えてもらわないことには仕方ありませんが、大丈夫ですか?」

私は、申し訳なさと、自分が気づかずにいたこと自体恥ずかしくて仕方ありませんでした。

「もちろんです。すぐに印刷物は廃棄して、作り直しますので!本当に申し訳ございませんでした」 と、丁重に謝りながら頭を下げ続けていました。すると、

ちょうどショップのご担当の女性が私にお茶を入れてくださり、今度は二人で食い入るようにしてそのカタログに見入ってらっしゃるではないですか。

「では、アートラボさんのカタログの差し替え代にはならないかもしれませんが、何点かショップで置かせていただきましょう!」と想像もできないことが起こったのです。

選んでいただいた商品は、それから一週間もたたないうちにどれも飛ぶように売れました。

中でも「火鉢香立て」というミニ火鉢の形をした小さな器が細長く編んだ竹かごの中に入っているお香とのセットについては、団体の観光客のお客様が両手で持ちきれないぐらいにしてレジに並んで買われている光景がよみがえってきます。

本当にありがたい思い出です。

その後、すぐに宝鏡寺さんへも謝罪に行き、改めて名称を変えたことを報告いたしました。


次章へ続く・・・・