2022年10月2日
今年もこの季節がやってきた。
何処からともなく風に乗ってやってくる、この甘く切ない香り。
その芳しい香りに、僕は毎年同じ想いに耽ってしまう。
当時高校生だった僕は、父の転勤が切っ掛けで広島へ転校することになり、この季節に移り住んだ。牛田早稲田というところにその社宅はあった。
そこは平屋の一軒家で広い庭があり、金木犀が咲いていた。緑に囲まれた小高い丘には、そんな同じような平屋が並んでいた。
転勤者の家族が移り住むその地域には緑が溢れていて、穏やかな時間が流れていたことを今でも鮮明に覚えている。
しかし、僕の心は晴れなかった。
物悲しい秋の始まりがその引き金となって、京都への想いが募りだしていたからだ。
置き去りにしてきた断ち切れぬ恋心。そして、新しい環境に戸惑う不安感も相まって、この匂いを哀愁に満ちた色に染め上げてしまっていたのだろう。
今朝、庭木に水を遣っていてはじめて気づいた。
うちの庭にも小さな金木犀が桃色の百日紅の陰に隠れて、橙色の花を咲かせていた。
どうやら今朝の匂いの出どころは我が家の金木犀だったのだ。
思春期には、哀愁と郷愁が混ざり合ったように切なかったこの香りも、年月が経ち老年期を迎えた僕にとっては、慕情という言葉にそろそろ置き換えたほうがいいなと、今日初めてそう感じた。