2022年3月18日
僕の家の庭には、一番奥にひっそりと紅梅が立っている。
娘が幼稚園を卒業したときに貰ってきた梅の木だ。
昨日は娘の三十三回目の誕生日だった。
だから、この紅梅もあれから二十七年は経っていることになる。
貰ってきたときは、片手でも持てるほどのか細い苗木だったが、今ではその高さも七、八メートルほどに成長している。
幹には所々に苔がへばり付いた個所もあり、樹皮は煤けて黒ずんでしまった。
夏に忌み枝(梅の枝は放置していると好き勝手に方角をわきまえずにどこまでも伸びてゆく。それを忌み枝という)を何か所も落とす必要があるのだが、そんな痛い目にあっても、3月には必ず朱華色(はねずいろ)の小さな蕾を付ける。
枝先ぎりぎりまで連なる様につけるのだ。強い生命力にこちらが圧倒されてしまう。感服させられてしまうのだ。
まるで舞妓の簪に垂れ下がって揺れている小さな摘まみ細工のように可憐で華奢だが、力強い。忍び、耐えるという覚悟さえ感じてしまう。
今朝からしとしとと雨が降っている。紅色の蕾と蕾の間に小さな水晶玉のような雨粒がきらきらと光っている。
この梅は「はねず梅」と言って小野小町ゆかりの古刹「隋心院」の梅で、毎年3月下旬には「はねず踊り」が行われることでも有名だ。
娘の幼稚園は、ご住職が経営されている小野幼稚園というところで、卒園児にはこの紅梅が毎年贈られる。
昔から「梅暦(うめれき)」といって梅の花は春の訪れを告げる花として親しまれて来た為、新たな門出を祝っての苗木だったのだと今頃になってそう思った。
今月下旬までにはこの梅も満開になるだろう。コロナ禍で苦しむ僕たちに元気を出すようにと、励ましているような、そんな花の声が聞こえてきそうな気がした。